2025/11/25
昭和大好きかるた 時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る 第41回「る」
時代を超えた普遍の良き「何か」を振り返る
第41回
る
ルーザー
令和となってはや幾年。平成生まれの人たちが社会の中枢を担い出すようになった今、「昭和」はもはや教科書の中で語られる歴史上の時代となりつつある。
でも、昭和にだってたくさんの楽しいことやワクワクさせるようなことがあった。そんな時代に生まれ育ったふたりのもの書きが、昭和100年の今、"あの頃"を懐かしむ連載。
第41回は、刃物専門編集者の服部夏生がお送りします。
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最初に申し上げると、元ネタの大ヒット曲『ルーザー』は平成6年リリースである。
俺は負け犬、そう、負け犬、だからとっとと殺してくんない? ととぼけた口調で物騒なフレーズを歌い上げるベックのおかげで、僕は米国では「ルーザー」が、相手をおとしめる言葉だと知ったのである。
推しが負ける切なさと愛しさと心強さ
別に米国だけの話ではない。
昭和の日本に暮らす子どもだった僕も「負け犬」になるのはごめんだった。
テレビの戦隊ものに出てくるヒーローは必ず勝っていたし、悪役は酷い目に遭わされた上で負けていた。大相撲は北の湖か千代の富士、プロ野球は読売巨人軍が圧倒的な勝者で、その他はいい戦いをして敗退するのが相場だった。八百長について言及しているのではない。でも強者側についていると「そうなるんだろ?」という期待通りに物事が進むから羨ましかったのである。
そう。戦隊ものはさておき、リアルな世界において、僕の推しは期待通りに動いてくれなかった。
贔屓の富士桜はものすごい速度で張り手をして大変勇ましかったけれど、横綱をはじめとするヒーロー役と当たると名勝負をしつつ負けた。愛してやまない中日ドラゴンズは勝つこと自体が奇跡に近かった。嫌いにこそならなかったが、推しが主に負ける係だったことは、実に、実にもどかしかった。
自分はあんまり負けない人生、もう少し正確に言うと敗北の味を知らない人生を送りたいものだ、と思った。
とは言っても、少年の頃は、自身の勝ち負けなんて大事なことじゃなかった。休み時間の草野球で負けたら悔しかったけれど、学校に行けば友達がいて、家に帰れば読みたい本があって、観たいテレビがあった。
僕は、恵まれていたのである。
でも青年になり、大人になっていく過程で「勝負」が次第に自分ごとになっていった。
意に反して、何度も負けた。
高校の時も、大学の時も、名門私立の受験に落ちた。そもそも第一志望じゃねーから、オレ本気出してねーし、と言い訳かまして自分を慰めた。でも就職の時には、子どもの頃から行きたかった会社に落ちた。こらあかんと思ったけど、そもそも面接とかありえねーし、人と話すの苦手なオレが本気出せねーじゃん、というミラクル言い訳を捻り出して、自分を納得させた。
大人になる頃には、ドラゴンズも色々あって強くなり、勝負に勝つことは至高であるという思いを補強してくれた。自分も撤退を余儀なくされたが、本気出せば連戦連勝と自身に信じ込ませていた。
永遠のライバルに教えてもらったこと
今、書いているだけで嫌な気分になる我がマインドを変えたのは、ひとりの野球選手だった。
鈴木一朗。通称イチローである。
彼と僕は同い年。故郷も隣接している。少年時代は彼の存在こそ知らなかったものの、行動範囲が被っている以上、どこかですれ違うくらいはしていたかもしれない。
そんな親近感に加え、おこがましいにも程があるがライバル心も持っていた。
我がライバルは、実に輝かしい実績を積み上げていた。日本では無敵、絶対失敗すると言われいた米メジャーリーグでも、数々の賞を獲得し、前人未到の記録を打ち立て、野球界のリビングレジェンドとなっていた。
だが、どんなアスリートも年齢には勝てない。30代中盤に差し掛かる頃から、彼の成績は急落していった。再建を目指すチームからトレードに出され、出された先では下位打線に据え置かれ、さらにトレードに出された先では控え選手に甘んじるようになった。
その度に「引退しろ」「晩節を汚すな」といった話が出た。
確かに、北の湖に千代の富士、王貞治や江川卓といった昭和のヒーローたちは、衰えが見え出すと潔く引退していた。
負ける姿を見せることを良しとしないのが、昭和カルチャーだったのである。
当然、僕もライバルの凋落は寂しかった。
でも、彼は何食わぬ顔で現役を続けていた。そして毎日入念に準備して試合に臨んでいた。やな奴感を醸し出していた全盛期からは信じられないような「若手に慕われる姿」も見せるようになった。
そして僕は気づいた。
あ、彼はまだ全然、納得していないんだな。
まだできる、選手として全然できる。そう思っているから、控えになることだって受け入れられる。そして、クールに自分の立ち位置を確認した上で「いま、できること」にフォーカスする。
本気じゃなきゃそもそも受け入れられない。言い訳が効かない世界に自らを置いている。だから楽しいとか好きなんて曖昧な言葉を彼は一切、使わなかった。
自分が必要とされている限りは「引き際」すら決めない覚悟を感じた。
年齢に負けても、若手に負けても、続ける。
結局、イチローは、自分自身と勝負していたのである。
勝ち負けの究極は、自分との戦いであり、他者との戦いで決まるものではない。
当たり前すぎる結論に、僕がようやく思い至ったのは、齢40になってからだ。
そのテーマを世界レベルで実践していたライバルとは随分差がついたが、気づけただけでもうけものだと感じた。
そして、富士桜やドラゴンズのことがなぜ好きだったのか、にも気づいた。
彼らは、本気で頑張っていたからである。
負け犬だったのは、本気じゃないと言い訳かましていた自分だった。
僕が生まれた昭和48年の2年後に始まった『秘密戦隊ゴレンジャー』から半世紀。テレビ朝日系列の「スーパー戦隊シリーズ」が終了するというニュースが、つい先日、出た。
昭和の勧善懲悪を体現していた戦隊ものもまた、時代の流れで消えたり姿を変えていくのだろう。
今、僕が妄想しているのは、年老いたヒーローと悪役による戦隊ものである。時代の波に取り残された彼らが、使命らしきものを互いに必死にかき集めて、なんとか勝敗をつけようとする……。
令和の子どもたちからはルーザー呼ばわりされるであろう。でも、彼らの心を貫く「矜持」は、まだぴっかぴかに輝いているような気がするのである。
ルーザーを 歌うベックの シャツ可愛い
TEXT:服部夏生
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